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旧交を温めた〜その2

  • hiro640311
  • 4月27日
  • 読了時間: 3分

更新日:5月10日

26日夜は大学の同期で数少ない親友のひとり小児科医Sとわれわれの7学年先輩に当たるS.K.先生の3名でGW初日のせいか人気の少ない六本木で会食。Sとは1年ぶりだがS.K.先生とは5、6年ぶりくらいか。


S.K.先生は母校の医学部長まで務められた俊英であるが、世間の方が思うようなお堅いイメージとは真逆のさばけたドクターで見た目も若々しく初対面で医学研究者と見当がつけられる人は皆無だと思う。私の結婚式で恩師枠でスピーチをお願いしたのだが、母は直前まで同級生と思いこんでいてスピーチの順番を間違えて登壇したけしからん輩と思ったそうだ(スピーチの内容がヤバすぎて、別の意味でけしからんとひな壇の私はひとり焦っていた)。


低学年の時に当時は基礎医学系の助手として授業や実習、あるいは部活での指導など他の同期生全員分け隔てなく面倒を見ていただいたはずなのだが、何がきっかけだったか放課後にプライベートにお付き合いさせていただくようになり、3人であるいは2人で夜遊びもしたし、短い夏休みの予定を合わせて南の島のバカンスにもご一緒した。卒後はさすがに会う機会も激減したがSが大学に長めに残った関係でやり取りは続き、私がペーペーの分際でワシントンDCの学会に出席した折には、ボストンに留学していた先生のアパートメントに泊めていただいた(私が持ち込んだ純日本製の風邪をうつしてしまい後日高熱で寝込んだそうだ・・)。もちろん心から尊敬できる先輩なのだが、親しくしている「年長の友人」と言っても叱られることはないだろう。


バブル期に向かう80年代に学生生活を謳歌した世代は、スポーツ、ファッション、音楽、車、旅行あるいはダンパにナンパ、恵まれた80年代カルチャーの洗礼を何がしか受けているのではないだろうか。もちろん医学生は他学部の学生のように遊び呆けるわけにもいかず必死に勉強もしたが、それでも現代よりはるかにおおらかだったとは思う。私は他人と群れるのが得意ではなかったので、むしろ一人遊びというか興味の趣くままに色々なことに首をつっこんでみるタイプであった。当時はスマホもPCもなかったから、イベントに参加したり、人と会う約束一つ取るのにも恐ろしく手間や時間がかかったがそれだけ人間付き合いも濃密だったのかもしれない。そんな時代に形成された男3人の絆? 表立って書けない、書ききれないエピソードが山ほどあって、3人寄れば昔話に花が咲き笑いに包まれたり冷や汗をかきなおしてみたり。自分が忘れていた話も必ず他の誰かが覚えていて、全員がボケとツッコミを担当するので収拾がつかなくなる。


こうして六本木の夜は更けていくのであった。


 
 

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